皆様こんにちは。
今回は、先日開催された古澤巖さんとの演奏会のレポートとあわせて、音楽について考えようと思います。
古澤さんと共演させていただいたことが、音楽、そして古楽の概念を深く、再考させるものだったからです。
演奏会は、古澤さんと作曲家の平沼有梨さん、和太鼓の祝丸さん、映像作家のカズさんというまるで異色な組み合わせに、古楽奏者として参加させていただきました。

プログラムのなかには、古澤さんとのデュオもありつつ(古澤さんにとって初めてのヒストリカル演奏お披露目プログラム)、ほとんどが現代アレンジの素晴らしい作品で、我々の感覚からすると、それらの作品の為にはヒストリカル奏法ではない現代奏法を用います。
しかしながら古澤さんのリクエストは、
“モダン弾きしなくていいから、いつもみたいに弾いてくれる?”
という、今まで言われた事のないものでした。
さらっと言われますが、じつは現代曲を完全にヒストリカル奏法するほど難しいものはありません。
ですが、言われるがままに楽器や奏法、意識をヒストリカルに変えると、なんと不思議なことにそちらのほうがしっくりとはまったのです。
正直なところ、モダンの演奏会においてはまるでグレーゾーンのように、モダンのようでモダンではない、ヒストリカルなようでそうではない、曖昧な演奏をしてきたのが事実ですが、古澤さんの求められていたのは奏者のありのままの良さ・姿であり、自分の目指す音楽をとことん求めて欲しいという、大袈裟にいうとまるで私たちの音楽家人生の節目とも言うべき出来事でした。
日本のモダンオーケストラなどにおいては、このようなヒストリカル奏法は今でも快く受け入れられない傾向がありますが、今回の古澤さんの要望、そして結果は、奏者の個性が皆はっきりとしていれば、どのような音楽も調和するのだということを証明したのです。
古澤さんにはいつも、地味ーな古楽と言われていますが、かと思いきやそんな古楽にしびれた〜という感想ももらしていらっしゃいます。
要は、今の私たちに求められているのは、ヒストリカル演奏を“魅せる”ということなんだと思いました。
一見すると地味な古楽を、魅せるにはどうすれば良いか。
まるで新しいことを突きつけられたような書き方ですが、実は、これが私たちが求めていたものでもあるように感じます。古澤さんがそれをぐっと引き付けてくださったのだと。
もうあっという間に今年もあと1ヶ月で終わりとなりますが、“魅せる古楽”というのが来年のテーマになりそうです。
ありのままをどう魅せていくのか。
音楽家としての大きなヒントをいただいたようで、反面、更なる旅がはじまる予感です。
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