年が明けて、早くも3週間が過ぎようとしています。元旦は恒例となっているお寺へ初詣に行きました。子年である本年のテーマは、”継続と改め”だそうです。善いものを残し改善すべきを改める、、、。この三週間で既に様々な継続と改めが遂行されてきたように感じますが、今年一年、さらに善い年となるよう尽くしたいと思います。
さて、今回は新年最初の投稿ということで、レッスンについて改めて考えようと思います。レッスンとは一体何でしょうか?
気になるその語源から調べてみました。
Lesson(レッスン)の語源は、Lectio(レクティオ)というラテン語にあるみたいです。
Lessonには「学ぶ時間」というような意味がありますが、元々のラテン語には「読む」という意味があり、聖書を読み説く時などに使われていたそうです。同じ語源からは、Lecture(講義)という言葉があります。
ここでレッスンの概念として決して我々が勘違いしてはいけないと思ったのは、レクティオの「読む」対象が聖職者ではなく聖書にあるように、レッスンにおいても、読み説くべき対象が指導者ではなく音楽にあるべきということです。
少し難しい表現になってしまいましたが、どういうことかというと、レッスンでは生徒さんが先生の見よう見まねするだけになるのではなく、先生が生徒さんと一緒に音楽を読み説き、一緒に音楽を学ぶべきということです。
何故このようなことを再考しようと思ったのかというと、日本の音楽指導現場においては弟子が指導者の見よう見まねになりがちで、音楽大学においても、弟子が皆まるで教授そっくりの演奏になっていることが否めないのです。
オランダという地へ留学して以来、レッスンという概念が覆されたのが一番の学びだったかもしれません。もちろん先生によるのでしょうけれど、私たちの学んだ先生方のレッスンはレクティオ、先生の真似をするのではなく、生徒の感性と意見を尊重した素晴らしいものだったのです。
先生はもうレッスンにいかなくても良い存在と思われがちですが、私たちは違います。
それぞれの練習やリハーサルの際はお互いに聴き合い、本気で物申し合います。
師弟でなくとも、共に聴き合い、意見し合う時間もレクティオ、同じ音楽を観て、読み解こうと試みているのだと思います。
以前楽器のレッスンを受けていたもののレッスンからは遠ざかってしまったという方は、今一度レクティオを体験されてみてはいかがでしょうか?
素晴らしい例がありまして、先月の記事でご紹介した初心者のフルートの生徒さんは今月毎週レッスンに足を運びくださり、指導側もびっくりするほどの速さで上達なさっていらっしゃいます。レクティオにはまった結果、上達に繋がるのです。
本年も沢山の学びの場を提供出来ますように。
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
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